年単位でのお久しぶりですね。いやはや。
一年もありゃなんだかんだ変わるものでしてね。
結婚とかしちゃったりしてー。RADIOHEADのライブ行っちゃったりしてー。
Perfumeオリコン1位とっちゃたりしてー。

ようやくネット環境が整ったのでメモ書き位はしたいものですね。
皆様の日記も読みたいし。
(しばらくすぎて相互リンク一人もいなかったらどうしよ)とか思ったのは内緒ね。

ここ半月で読んだ本メモ。

『ブッダ』手塚治虫…「聖☆お兄さん」読んでたら読みたくなり再読。
           顔がいきなり変わるところは何回見ても笑える。
『ロコ!思うままに』大槻ケンヂ…変わらないのがいいところ?
『ストロベリーナイト』誉田哲也…後味悪いとか薦められて読んだけど、
           そうでもない。むしろ結末のグダグダサに後味が悪い。
『酔いがさめたら、うちにかえろう』鴨志田穣…西原サイドから見ているだけでは
           なかなか見えない。
『いけちゃんとぼく』西原理恵子…2回読んだ。

『ディスコ探偵水曜日』舞城王太郎…上の途中。状況を整理しながら読むので
           なっかなか進まない。全然進まない。本当進まない。


ではまた☆近いうちに。秘密日記あり。

ISBN:4167679663 文庫 美濃部 美津子 文藝春秋 2005/11/10 ¥530

落語愛好家で良かった、と思う瞬間ってのがある。
何気なく寄った寄席のトリで。
チケットを3ヵ月前から取って楽しみにしていた地元のホールで。
顔見知りの蕎麦屋のイベントで。

そこで噺家さん達の『良い時期』に触れる一瞬だ。

この良い時期ってのも本当人それぞれで
二つ目の勢いの良かった頃が実は一番フラの良い部分が活かされてた、なんてのもあるし
勿論歳を取れば取るほど良い枯れ具合になってくる人もいらっしゃる。
噺家さんが歳を取っていくのと同じ様に自分も同じ様に歳を取っていく。
良い時期も良くない時期も、同じ様に見ていける。
受け取る方の好みも変わってきたりして。

さて、そこでこの本。
志ん生、馬生はもう仕方ないとして、
志ん朝は私にも見られる可能性があったんですよ。
だって2001年まで生きてたんだもの。落語に丁度興味を持ち始めて少し経った頃。
どうして見ておかなかったんだと地団太を踏みたい気持ちだが、
いやだってそんなに早く居なくなると思わなかったんだものなぁ。

お陰で今の私が触れられるのは
映像を残すのを好まなかった志ん朝が
それでも周囲に説得されて残し始めた映像たちと
妙に色っぽい声で話される音源だけ。

『生きてるうちにもう一度見ておきたかった』
これ、実は全ての落語愛好家さんの誰もが持ってるものなんじゃないかしらね。
対象は誰であれ。私は圓生の高座をどうしても見たかった。無理だけど。

だから今現存(動物か)の噺家さんで、少しでもみたい人の高座は
ついつい無理をしてでも見に行ってしまう。
『今の談志は良くない。昔の談志は――』という話を聞いても
それでも私は談志に触れに、わざわざ県外まで出向く。
で、まんまと感動して帰ってくる。
『談志なんか好きじゃないやい』と言いつつ、それでもヒト世代を担った名人である事をしみじみと実感する。
実際の高座を見ないとまた伝わらねぇのよ。この落語って奴は。

美濃部家の長女の妙にあたたかい目線で見た志ん生、馬生、志ん朝。
噺家としての父・弟達を語れる人は数多くいるだろうが
家族としての志ん生、馬生、志ん朝を語れるヒトは多分このヒトだけだろう。
『芸は人なり』は先代の小さんのモットーであったが
まさに三種三様、芸と人柄がリンクする。

亡き名人を見られなかった、と地団太を踏むよりは
今『良い時期』の噺家さんに触れたい、と最近は思う。
志の輔、談春、菊之丞、雲助、白鳥、竜楽。
まだまだ一杯いる。しばらくは飽きないだろうと思うのですよ。

小三治引退説が気になるところです。



★★★★(読書感想文じゃねぇじゃん)

Adore

2006年12月11日 読書 コメント (4)
TheSmashingPumpkins CD Virgin 1998/06/02

バイト先で先輩(女29歳)に
「使えない人。なんでこの子が一年経たずで責任者なのかしら」
と言ったような目で見られ、
本職でも鋏は巧く扱えず、
恋人に自分の存在を必要以上に隠されることが最近はなんだか辛く、
愛すべき友人たちは年末の忙しさにてんてこまい、
バイト先のカラオケ屋では王様気取りの客ばかりで、
正月のざわざわする忙しさに怯える最近の毎日。

食べたら太るから、一本だけ煙草を吸いました。
で、スマパンのライブDVD観ました。
あまりに撮り方ダサくて、メロディが綺麗で、

明日も頑張ろうと思いました。



★★★★☆
(画像はアドア。わしゃこのアルバムが好きなんでね)
SEAMOに感じるざわざわするような違和感。
今日、正体がわかった。
あれだ。
あの人私の中ではm.c.a.tと同じポジションなんだ!!

いやだからってなんな訳じゃないけど。
あの人がテレビに出てるのを見ると
富樫が「ボンバヘッ!!」と歌ってた頃の
気恥ずかしい気持ちが呼び起こされます。

まぁそれだけ。
この読書感想文ではご無沙汰ですよ。
DNの皆様、お元気でしょうか。

なんかね、最近まったく本読みたくねぇのよ。
手元には『乙一の銃とチョコレート』、
『百?先生月を踏む』久世光彦、
それから僕らの山田悠介『ブレーキ』が控えてるって言うのに。

たいして忙しいわけでも無いのになー。
読んでもちっとも頭に入ってこない。何の感動も無い。
そういう時期なのかしらん?と思ってしばらく読書は放置。

近況。
背中真ん中くらいまであった髪をバッサリとボブにしました。
で、ここ何年も前髪レスだったのを、何年ぶりかに前髪を作りました。
『私何長い髪に固執してたのかしら?』と後悔するほど
ボブは良いです。思ってたより全然服を選ばない。
ただ、スタイリングが面倒だけどな。

近況。
DVDレコーダーを買いました。
トムヨークのアルバムを買いました。
快楽亭ブラック師匠にお会いしました。
ラーメンズの『日本語学校』のCDを買いました。
『ケッ。マルチの癖に』と思っていたアムウェイのストッキングが物凄く丈夫で感動しました。でも買わねぇ。
辛子色のジャケットを買いました。

近況。
好きな人が年々増えていって、幸せな反面、怖い。
私はこんな風に好きな人たちに無防備に心を預けているうちに
自分で自分の心の面倒を見られないヒトになってしまうんじゃないかと。

近況。
まぁ、それでも私は元気です。
自サイトのほうはここよりは更新してるんで、
たまには見に来てやってください。
フジロック行ってきた。
ソニックユース観に行ってきた。
HIVES観に行ってきた。
電気グルーヴが最高だった。

本サイトの方で感想文(レポになってない)を書いたので
もし、あの。あれだったらよろしくです。

http://www15.ocn.ne.jp/~placebo/
私の実家です。
今日は読書感想文を書いた所でなんか気が済みました。
でお馴染み舌足らずです。室井祐月が内田春菊化しない様祈ってる。
しかも割と真剣に願ってる。

中村うさぎ・室井祐月・内田春菊・姫野カオルコ・高村薫
江國香織・桐野夏生・山田詠美・小池真理子・小野不由美・恩田陸。
なんで女性作家って奴は両極端に分かれるんでしょうね。
『痛々しい女キャラ(大抵ビッチ化)を味とする』グループと
『異様なまでに性別を感じさせないクール文体』グループ。

前者は中村うさぎ・室井祐月・内田春菊・姫野カオルコ・江國香織・山田詠美。
後者は高村薫・桐野夏生・小野不由美。
例外は小池真理子と恩田陸。小池真理子の方は文体に女性の匂いが漂うのに
淡々としすぎるから江國キャラみたいにみっともなくない。
(江國キャラのみっともなさってのはこの方独特で
私はその、女性ならではのみっともない女性の書き方に妙に共感できない。
多分、村上春樹に感じる違和感と同じなんだと思う。
あの“自己陶酔”の臭いがどうも鼻につく感じ。)

おっと。脱線した。

前者の女性作家の書く本がどうも苦手らしい、と気付いたのは最近のこと。
高校時代は山田詠美や姫野カオルコを好んで読んでいたのになぁ。
どこかに書いたと思うんだけど、
私は『好きな物と嫌悪感を感じる物が同じ様に気になる』性格で
前者女性作家を割と読むようにしてたんだけど
なんで嫌悪感を感じるのか解ったよ。

不安定だから。

誰かと比べられて沈んで、男を作って寂しいのを埋めて貰って
寂しいって感情を文体のあちこちに垂れ流して
モテないキャラを演じて歳を取った自分に言い訳をして
結局は開き直る。皆揃ってそんな感じに思うからだ。
『セックスでしか満たされない部分を知らない貴方はかわいそう』
みたいなセリフがポンポン出るのもこっちだけだ。
優越感と劣等感が交互に混ぜられてやたら滅多ら不安定だ。
『女は群れる生き物でそんな女が私は大嫌いだ』と
全身全霊で訴えた所でそんなんほとんどの女が思ってる事で
(女の集団化で嫌な思いをしなかった女ってのはごく少数じゃないだろうか)
それでもどっかで折り合いをつけて皆生活してるんですよ。

だから男をとっかえひっかえするのじゃないかしら、とも思う。
男の人が女に要求する物ってのは割とわかりやすい。
下手すりゃ穴扱いだしね。しかもそういう男の性的衝動こそ
不安定な女には救いなのではないかしら。
だって文字通り“求められてる”訳ですから。
同性ってのはその辺シビアですからね。
『優越感を持った目』なんかに非常に敏感だったりするよ。
そうだな。不安定な女ってのは下手なんだな。立ち回りが。
で、『自分の感情は自分で処理しない事にはきりが無い』という結論に
なかなか辿り付かない。

『私は女が好きだ』『私は女が嫌いだ』では
いつまで経っても話が前に進まない事に何故気が付かないのだろうか。
好きだ嫌いだでは本当に何も解決しない事に気付いてから
私は一切『嫌い』という言葉を使わなくなった。
(このサイトでも一回も使ってないよ)
『私は女をこういう生き物だと思う。』と1回全部受け止めてから
良い所と悪い所(とそれに対しての対処)を考えた方がどれだけ生産的か。
『女は群れるから嫌い。セックスは好き。男といる方が気が楽』
というだけでは行き詰まるぞ。で不安定に拍車がかかる。

で、それを地で持ち味として作品公開しちゃってる女性作家を
私は痛々しいと思うのだ。だからあまり読まなくなるのだ。

勿論それは自分にも言える事だし、女なら割とドキッとする感情だからこそだ。
その痛々しさに身に覚えがあるからドキッとするのだよな。
男にはちょっとわからない部分もありそうな感じだから
これらの女性作家の作品ってのは主に購読層は女性な訳でしょう?
男性にもわからないし、女性にも共感を得られなかったら
どこに行くのだろうか。女性作家は何処へ行くのだろうか。

あ、ちなみに今日の日記は超独断と偏見で書いたので
上記女性作家(特に前者グループ)ファンの方、
お気を悪くされたらごめんなさい。馬鹿の言う事だから気にしないでね。

最終兵器彼女 (7)

2006年4月11日 読書
ISBN:409185687X コミック 高橋 しん 小学館 2001/12 ¥680

どうしようかなー。やめとこうかなー。
と、このブログに始めてから
この文を書いては消し、書いては消し、を繰り返していた。
だが。
逃げるのは止めだ。
言いたいことを言わずに何が個人ブログだ。
と言う訳で言っちゃいます。

私、この物語、好きじゃないです。
あー。スッキリした。

まぁ、ご存知の方は多いと思うんですけど
こりゃ主人公のメガネ男子の彼女が兵器で
兵器ゆえに戦争に借り出されるってものです。
ちなみにこの作品、ファンがめちゃ多い。私も薦められて読んだ。

まぁ、気持ちは分かりますよ。
これでもか、ってくらい物理的に痛めつけられる彼女と
その彼女を傍で見ていることしか出来ない彼氏。
まぁ恋愛ものとしては、気持ちが分からないことも無い。

ただ、必然性ってのが全く感じられないからなんかなにもかもが希薄。
中途半端な戦争描写も、なぜちせが兵器なのかも、
ちせのキャラクター形成も。あの性格は神の領域だ。

なんか有名な格言で
『宇宙をただ一人の者に縮め、ただ一人の物を神にまで広げる事。それが恋愛である』BYユゴー
ってのがあるけど、私は全く同じ感想を持ったよ。
恋は信仰か?もっと汚くてエゴイスティックな物じゃないか?

ちせという神を信仰する世界観。
恋愛ものというにはあまりに身勝手で、信仰と言うにはあまりに陳腐。
だからなんかこの物語は、怖い。

追記:なんか『NANA』への文句はいくら書いても怖くないのに
これに関する感想は何故か書くのが怖い。
多分私が一番怖いのは信仰心なんだ。この作品への信仰とか。
最近よく耳にする言葉に『売れる本と良い本は違う』という物がある。
勿論誰が見ても面白い本はそりゃ売れるに決まってるのだけれども
なかなかそれだけでもない、と私自身も思う。

自サイト(http://www15.ocn.ne.jp/~placebo/)の2006年1/9の日記でも書いたのだが
売れるモノは“普段読書をしない人”を購入層に入れてしまえるもの。
重いテーマは売れない。
細かい字のモノは売れない。
なかなか読み終わらないものも売れない。

読書が癖付いてない人ってのは、まず根気が無い物だと仮定する。

反面、そうレベルの高いものも必要としないのがこの層かもしれない。
ここでは中高生にターゲットを絞る。(そこそこのお小遣いも時間もあり、ゆとり教育の弊害が出ている層)
私がもし『書きたいものを書く作家』でなく
『売れる本を割り切って書く作家』を目指すとしたら、本はこういうものを作る。

飽きさせないために分かりやすく奇抜な設定をひとつだけ用意。
字はそう詰め込まず、改行をマメに。
『本を読んだ』という達成感を味わっていただく為に、紙は厚くページ数は少なく。
口語文体上等。むしろ多少乱れている方が親近感をもたれやすい。
装丁はシンプルに。ココは砕けさせてはいけない。
(彼らには“書籍の本を読んでいる”というスタイルが大事なのであり、
装丁が漫画と変わらないならそりゃ漫画のほうを読むに決まっているから)

それから、ココ大事。
『乱れた世の中かもしれないけど、君たちの気持ちが僕にはわかる』
と知ったようなメッセージを込める事。
別段、その考え自体に理解が有っても無くてもいい。
そういう姿勢だけが大事。
あちらさんは前面に押し出されたメッセージしか読み取ってくれない物だと思うべし。
良くも悪くも、そうみたいなのだ。

勿論、書きたいものを書いてるわけじゃなく、売れるモノを、と割り切って書いているわけだから
メディア露出は絶対にしない。どんなに売れてもしない。顔出しもしない。
心有る読書好きからのクレームや批評も多く寄せられるだろう。
そんなもんは無視だ。
稼いだ奴の勝ちだ。ありがたがって読んでくれる奴がいるならそれで良いじゃないか。
世の中の中高生が頭悪い奴が多いのは私の所為じゃない。



山田悠介ってこんなんだったら面白いのにな。
ISBN:4103800011 大型本 荒木 経惟 新潮社 1991/02 ¥3,150

愛妻・陽子さんとの新婚旅行を真空パックみたいに
写真に収めた「センチメンタルな旅」と

その陽子さんが90年の1月27日に亡くなるまでの「冬の旅」を
荒木氏自身の短い文章と共に写し撮っている。

新婚旅行の陽子さんの瑞々しい肌だったり
布団のしわだったり亡くなった日の帰途の汚い残り雪だったり
棺の中の陽子さんの最後の顔だったり
火葬場の扉だったり
全てが暴力的なほど鮮明に強烈な印象をもって読み手に向かってくる。
特に「冬の旅」は、何回読んだって涙が止まらなくなる。

荒木氏の写真を好きな人には是非見て欲しい。
何故荒木氏の写真はあそこまで暴力的で湿度があるのか少しだけ感じられるかもしれないよ。
私は買って、大事にしまってある。

夫婦って、凄ぇなぁ。

(評価なんて出来ません。)

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